東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)56号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕本件特許発明の特許請求の範囲には動植物性油脂、鉱物性油類等よりなる基材に、反溶着材および固状潤滑材を混和する旨が示されていて、その動植物鉱物性油脂類が基材をなすことが限定されており、また、明細書の「発明の詳細なる説明」の項には、唯一の実施例として、流動性基材(右の油類)八一キログラム、反溶着材一三キログラム、固状潤滑材六キログラムを均一に混合攪拌して本件切削油を得る方法が記載されていることを認めることができる。
これらの事実から判断すると、本件発明の切削油は、油類を配合主成分とし、これに添加物として、主成分によりそれぞれ少量の反溶着材および固状潤滑材の成分を加えたものであることが特定されているということができ、この点に関する原告の主張は正当である(もつとも、明細書の右のような実施例の記載を根拠として原告主張のように、固状潤滑材が油類の1/13ないし1/41の微少量にすぎないとか、油類は粘度の高いものを用いるということまで特定されていると解することができないことは、いうまでもない。)。
これに対し、引用例の潤滑剤の配合割合が原告主張のとおりに特定されていることは、被告の明らかに争わないところである。
したがつて、両者は、その配合成分中配合量の最も多い主成分につき、本件特許発明においては油類であり、引用例においては固状潤滑材(鉛白)であるという差異があるというべきである。
(作用効果について)
四 原告は、右のような配合割合の差異に基づく、本件発明と引用例との間の作用効果等の相違を強調して、本件特許発明の独創性を主張する。
しかしながら、まず配合成分中油類が主成分をなすという点に限つていえば、切削油であれ潤滑油であれ、その配合方法として動植物性油、鉱物油等の油類を主成分とし、これに主成分より少量の融着防止剤等の添加剤を混和するようなことは、成立に争いのない乙第一ないし第四号証(それらが被告主張の日に発行された刊行物であることは、争いがない。)に徴しても、本件発明の特許出願日前から周知のことであつたことは明らかであり、その点に発明思想があるとはとうてい認めえない。
原告は、切削油においては、機械的潤滑作用のほかに切屑等の夾雑物除去の作用を要求されるものであるところ、本件特許発明のものは、油類を基材としているため、切削時の高熱によりペースト状の油類が流動性を増し、夾雑物を吸蔵して流出除去させ、冷却後は再びペースト状に戻つて加工物からの分離除去を容易ならしめるという作用効果がある旨主張する。切屑除去の作用が切削油により重要なものであり、その点でかかる作用を必要としないと認められる引用例の潤滑剤と相違することは明らかであるが、切削油において切屑等除去の作用を配合成分中の油類に期待すること自体は、きわめて周知の技術思想であることは本件弁論の全趣旨に徴し明らかなところであり、これをペースト状としたことにより、原告指摘のような機能を発揮し、本件発明において、かかる機能に基づく切屑除去の作用効果が期待されていることについては、明細書中にそれを窺わせるような記載を見出すことができない。
すなわち、前掲甲第一号証によれば、本件発明の明細書中、本件切削油をペースト状としたことの目的ないしそれによる作用効果についての記載と認められるのは、前認定の、各成分の沈澱を防止して均等に分布させ、その切削面への附着を助けて、これら配合物の性能を高度に発揮させることについての記載部分だけであつて(このような、成分の均等分布および作業面への附着を助け、配合物の性能を高度に発揮させるという作用効果は、引用例の潤滑剤においても、ペースト状としたことの作用効果として期待されているものというべきである。)、他に原告主張の切削除去の機能を示唆する記載はない。明細書中には、工具をすべらす最大原因である黒鉛炭素をペースト中に吸着する旨の記載があるけれども、このような黒鉛炭素吸着の作用が、切削油をペースト状としたことに基づくものであること、あるいは、さらに進んで、原告主張のようなペースト状→液状→ペースト状という粘度の変化により一段と効果的に営まれるものであるという趣旨を、右の明細書の記載から読みとることはできない(かりに、そのような粘度の変化による切屑除去の作用がすぐれたものであり、かつ明細書に明示の説明がなくても切削油をペースト状にしたことにより技術常識上当然に右のような作用を狙いとすることが理解できるはずであるとするならば、切削油をペースト状として右のような作用効果を期待すること自体は、技術常識を多く出ないものというべきであろうし、成立に争いのない乙第三号証によつて本件発明の特許出願前にすでに周知されていたことが認められる切削グリンスにおいても、右と同様の作用効果をあげえたであろうことは、疑いの余地のないことに属する。)。
したがつて、本件特許発明の切削油は、油類を基材としたことないしはペースト状としたことに発明思想があり、その配合物に期待する作用効果において引用例との間にその指摘するような顕著な差異があるとする原告の主張は、採用できない。
(用途等について)
五 本件発明の用途が切削油であり、引用例のそれが潤滑剤であるという差異があることは、争いがない。
しかし、<書証>によれば、引用例の潤滑剤(lubricant)は、原告主張のとおり、機関車の動輪の組立てのような、重量のかかるプレスばめ作業に用いられる特殊の潤滑剤であつて、一般の機械潤滑油とは異なること。一方、各種金属および合金類を機械加工する場合に、加工作業を助けるために用いる潤滑剤を工作油(metal working lubricunts)といい、切削油は工作油の一種であること。したがつて、引用例の潤滑剤も機械工作用の潤滑剤として工作油の一種に属し、その点では切削油とおなじ範ちゅうに属すること。
また、潤滑油も切削油も、それぞれ使用条件の相違に応じて種々配合成分や配合割合を変化させ、使用目的に最も適した性状のものとしてこれを用いることは技術常識であること
を認めることができる。
そして、これによれば、プレスばめに用いられる引用例の潤滑剤と、切削に用いられる本件特許発明の切削油とは、いずれも機械工作用潤滑剤の一種であつて、基本的には同一の技術分野に属するものであり、引用例のような成分からなる潤滑剤が公知である場合にこれを切削用に用いること、その際両者の使用目的の相違に基づいて――たとえば、後者の切屑除去等の要求に添うよう――その配合割合を変えるようなこと(特に、鉛白のごとき固状潤滑材を主成文としこれより少量の油類を包含する引用例が存在する場合に、油類を増加して主成分とし固状潤滑材を減少する方向でその配合割合を変えるようなこと)は、当該技術分野に属する者にとつて、技術常識に基づき格別の発明思想を用いるまでもなく、容易になしうるところであるといわねばならない。
六 以上のとおり、本件特許発明の切削油は、引用例の潤滑剤から当業者が容易に推考しうる程度のものであり、旧特許法第一条、第五七条第一項第一号(特許法施行法第二〇条第二項)によりその特許を無効とすべきのもであるから、これと結論をおなじくする本件の審決は(その理由中に妥当を欠く部分があるとしても)結局正当であつて原告主張の違法はないから、その取消しを求める原告の請求を棄却……する。(三宅正雄 杉山克彦 楠賢二)